ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。
数年前からそんな噂もあったが、正直、ちょっとびっくりした。もちろん、ワタクシ自身もディランを良く聞くし、彼の偉大さなどワタクシが語るまでもなく、世界中で発表されたディランの研究家や著名人等のフォロワーの著述を読めば理解できることだろう。
そして、真実か、否か、ノーベル賞が世界にもたらす発信力やそこから生まれる影響が本当に大きいのならば、ディランが創るフォークやロック、大きなくくりで言えば、ポピュラーミュージックが真の意味で文化として認められた証となり、ディランの功績は多大なものとなる。
それでも、日本での反応はやはり独特だ。村上春樹氏の件もあり、かつ、「ディランって誰?」という若者たちの認識の低さもあり・・・
「何で、ボブ・ディランなんだ???」
との反応を結構なもの。
まぁ、小説家だけでなく、詩人も対象らしいので、ディランもありではないかと思うのだが、テレビでいわゆる物知りコメンテーターたちが、「ディランはミュージシャンなのに・・・」との疑問符を付けて、いかにも知ったかで語る点は単純に面白く、それならば、ノーベル財団に音楽賞も作ってほしいなと思ったぐらいだ。
それはそれでディランが受賞しても、「ロック・ミュージシャンが・・・」なんて誤解を彼らは平気で語るのだろうが・・・(笑)。
それでも、やはりノーベル財団は”音楽賞”を作るべきなような気がしてきた。
ディランが文学賞を受賞したってことは、今後、ディランと並び称される著名なミュージシャンが受賞する可能性がある。だってそうでしょ。ポール・マッカートニーだって、エルトン・ジョンだってその対象になりえるわけで、ディランがこじ開けたとは言いませんが、スウェーデン・アカデミーのある意味で大胆な今回の選考が、文学賞の門戸を大きく広げてしまったのですから。
とは言え・・・。
受賞発表の日、ディランがラスベガスでライブを開催しましたが、ノーベル賞については何も語らなかったそうな。それについて、現地の反応は「ボブらしいじゃないか・・・」ってことですが、ワタクシ自身は、なんかしらの理由でノーベル賞を辞退したら、もっと「ボブらしいじゃないか・・・」って思うんですけど・・・やっぱり、素直にもらってくれた方が嬉しいかな(笑)。
そしてもうひとつ、ディランの名前がこうして挙がるのは遅すぎたかなとも想う。
今回の選考を発表したスウェーデン・アカデミーの女性も・・・
「ディランの音楽は私のそばにいつもありましたが、私が好きなのはデヴィッド・ボウイなんです(笑)」
っていうぐらいロック・ミュージックは身近な存在で、そうなったのはもっと昔の話なんですから。。。